ガンコ者を探せ!

〜個人名ブランディングの時代がくる

松岡宏行/スイスイ社取締役
2001.12.28

suisui college
strongwoman

ブランドって何だったっけ?

ブランドマーケティングの基本は、「消費者は、そのブランドを信用しているからこそ買うのだ」という信念である。つまり信用の対象としてのブランド。しかし、ひとつのブランドであまりにも多くの商品を出していると、「そのブランドだからいいものなんだ」と単純に考えることができなくなってくる。
高級品で成功しているブランドが、売上げを増やすために低価格ラインにも参入するケースを考えてみる。まずたいがいは売れそうな「強者の必勝戦略」である。だが長期的にはブランド価値が下がってしまうのは仕方がない。商品がありふれたものになって、そのブランドが単純に「飽きられる」ということもある。しかしブランドの品質保証機能が低下することが、いちばんの問題だ。
つまりブランドによって「この商品はよいものですよ」と品質保証をしているハズだったのに、低価格品でも高級品と同じ名前の品質保証をしているのであれば、その価格差はいったいなにか?
もちろん高級品には高価なことを正当化する理由がある。技術が違うし、素材が違う。手間がかかっている。だから性能がよいし、立派である。そんなことはすぐわかる。

こうして「同じブランド名がついているからといって、同じ程度によいものだとは限らない。品質を決める他の要素があるんだ」と、われわれだって学習する。(めんどくさいナ、他に知らなければいけないことがあるなんて・・・)

大きくなったぶん悩みがあるんだ

「売上げは増やしたいが、ブランドイメージは守りたい」
大きくなった企業が、第二ブランドや、マルチブランドを考えるのは、必然的なことである。こうして一つの企業がいくつものブランドをもち、いろいろなレベルの商品を出す。そのことがすぐ、消費者にもわかってしまう。そうすると、はたしてそんな企業名やブランドが「信用」の対象になるのか、ということになってしまう。ブランドといっても、その商品群を企画した時のコンセプトをネーミングしたものにすぎない。そこにどんな魂が入っているのか?
むかし、大きな企業は大きいということだけで尊敬されたが、今は違う。日立や東芝もツライわけだ。ソニーでさえ、「ソニーのオーディオ」から「それなら音がよさそう」とはイメージされない。
このように巨大化し稀薄化した企業ブランドの信用をどのように補完できるか?「コンセプトネーミング」は、もちろんこれからも有効な手段である。しかしこのように信用をつきつめて考えてみると、むしろ「個人名ブランディング」をやってみたい気がしてくる。
アメリカの「マーサ・スチュワート」、イギリスの「テレンス・コンラン」などが頭に浮かぶ。日本でなら「栗原はるみ」とか「山本容子」「パトリス・ジュリアン」、環境の「野口健」、自動車の「鈴木正文」なんかもいい。
これが従来のタレントマーケティングと違うのは、必ずしも「有名」に依存していないことだ。
「A社で○○を設計し、B社では××をつくった伝説の技術者○○××が、こんどは我が社で△△をつくった」というウラ情報がそのままコピーとなり、デザイナーや設計者の署名入りの製品を売る。そんな時代がもうすぐくる。こうして、ガンコ者こそが会社の宝になる。はずだヨ、ゼッタイ!

以上

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