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 チーム構成は「ゴレンジャー」で考える

松岡 あの、ちょっと村尾さんの個人的なことも聞いていいですか。「スターブランド」は社長と二人でお作りになった会社なんですか。それとも社長がもう始めた会社に後から乗った感覚なんですか。
村尾 いえ、ゼロから一緒に。
松岡 一緒にやったんですか。
村尾 うん、準備期間も含めて。たまたま、僕は社長がいやだから…。社長は、名義上は浜口になってますけど。でも、ほぼ、僕が社長みたいな感じでやってますけど。
松岡 じゃ創業者なんですね。
村尾 はい。
松岡 フロントマンという肩書きが付いていたのが、なんだろう?と思ったんですよね。
村尾 もともと、バンドっぽくやろっか、という感じで、僕はもう、そのバンドのリーダーではないけれど、でもリードボーカルであると。だから、常に全面に出て歌ったりするのは僕であって。
松岡 あ、そうなんですか!
村尾 で、後ろで浜口が社長として、本当はリーダーなんだけど、ドラム叩いてるだけ、とかね。そんな感覚でやろうよ、ってことで。
松岡 なるほどねー!それで「フロントマン」?
村尾 ですね。バンドとかってよく、フロントマンって言うじゃないですか。全面に出てくる人で。
松岡 あー、そうなんだ。えーっと、ホラ、ホンダのときも本田宗一郎さんがすごく有名で、タレントみたいなワンマンになってるけど、実は番頭さん(藤沢社長)が優秀だったと。だから、本田さんがカリスマになれたのであって。そういう役割分担がキレイにできているのって憧れますよね。女房役のがっちり者が会社をしっかり経営していて、俺は前でチャラチャラやってるっていう(笑)。それを実践されているわけですね。
村尾 そうです。役割っていいますかね。はじめから、チームにおける役割をハッキリ決めていくってのは、自分たちの会社だけじゃなくて、クライアントに対してもよくやっているんです。
よく我々は、それをゴレンジャー採用と言ってるんですけど。いわゆる戦隊モノのゴレンジャーってあるじゃないですか。赤レンジャーとか青レンジャーとか。で、赤レンジャーってのがたいていリーダー役で、グイグイ前に行って熱くて。で、あまりに熱いときに、ちょっとちょっとって止める実務家みたいな青レンジャーがいるじゃないですか。クールで、仕事もできる。で、あと全体を調和する緑レンジャー。それから、女性的な感覚を持った桃レンジャー。これは別に女性である必要はなくて、「社長、ここにちょっと花置きましょうよ」っていう女性的感覚を持った男性でも構わないと思うんです(笑)。で、黄レンジャーは、別に仕事そんなにバリバリ出来なくてもいいけど、でも組織に居てくれるだけで、ホッとするような存在。
とにかくバランスよく、赤レンジャーが何人、青レンジャーが何人、もしくは部署毎に分けてもいいと思うんですけど。それを、しっかりと役割を分けて、僕は調整役、僕はこの組織においては赤レンジャーでやっていくと。どうしても小さい会社って赤レンジャー、青レンジャーだけを取りたがったりとかするんですけど。そうじゃなくて、はじめから、チームにおける役割っていうのを分けていこうってのを、よくゴレンジャーに例えてやってたりします。で、それをたまにバンド的にやるんですね。
リードボーカルは誰で、リードギターは誰で、リズムギターは誰で、ベースは誰でドラムは誰で。で、どっちにしても、バンドでやるときも戦隊モノでやるときも、バランスを取っていくってことを、はじめから考えてやります。で、他社で教えてることは自社でもできてるようにってことなんで、うちも、戦隊モノではないけれど、バンドでやってるって感じです。

 14歳で単身渡米、そしてホンダで学んだ「ニッポン」

松岡 村尾さんのブランド論は、戦隊モノで語り、バンドで語り、比喩がわかりやすいなあ。(著書のプロフィール見ながら)この、アメリカで14歳で単身渡米。で、ネバダ州立大学を卒業し、本田技研工業に入社って、たったこれだけなのに、すいぶん飛び飛びで…そこにいっぱい秘密が隠れてるような気がするんですけど。これは、一体どんな人だったんですか?テキトーな人だったんですか?
村尾 そうですねー。
松岡 それとも一生懸命やってきたんですか?
村尾 いや、ここまで来たのは本当ノープランというか、毎回、気がついたらそうなった…そこをちょっと深掘りしたら、次またこういう道がまた見えて来た…という連続だったんで、そんなに深く考えてないですね。
松岡 14歳でふつう渡米しないでしょ単身で。
村尾 たしかに、全寮制の学校だったんで、親と行ったとか、そういうことでもなかったんですけれど。
松岡 これ、じゃあ、留学ですか?
村尾 そうです。中学2年を終わって、3年をちょっとだけやって、そこで。
松岡 じゃ、これ親がアメリカの中学に行けと?中学ですかこれ?
村尾 そうです。本当は、高校から行こうと思ったんですけれど、普通にみんなが受験勉強とか始めてるなか、高校から自分アメリカ行くからっていうので、ちょっと温度差もでてくるし、というのもあって。それだったら途中で止めて渡米ってのもアリかなあと思って、軽い気持ちで。
松岡 じゃ、学生生活をアメリカで送ったわけですね。
村尾 そうですね。
松岡 帰国子女的な感覚じゃないね。親に付いてく感覚じゃなく、ほっぽりだされたみたいな?武者修行してこいと。
村尾 本当そうです。当然、経済的な部分は難しいじゃないですか。でも、経済的なサポートはなんとかするから、あとは全部自分で決めて、自分でやれという。半ば本当にほっぽりだされたような…。
松岡 なんちゅう親ですか!?すごいね。かわいい子には旅をさせろの最高版ですね。
村尾 いやあ、だからよく言われますね。親に会ってみたいとか、親の話を聞きたいとか。当時は、まだまだそんなに教育の選択肢も無かったり、そういうのを許す風潮の社会でも無かったので、当時としては、珍しかったですよね。非常にリスクがあることでもあったと思いますし。
松岡 それで、ホンダに入社したのは何歳の時なんです?
村尾 ふつうに新卒で入社です。日本採用です。
松岡 基本、真面目なんですね?(笑)よほど、ヒッピーみたいなことしてたのかと思うとそうではないんですね。ちゃんと、新卒で就職するようなマトモな人だったんですね。
村尾 そういう風に、ずっとオフロードを走ってたんですけど、そこから舗装道路を見つけて一回乗りましたよね。でも今、ちょっと外れちゃってますけど(笑)。
松岡 ホンダに入ると、普通の日本で採った新卒の社員として仕事するわけでしょ。
村尾 そうですね。
松岡 その感覚・生い立ちからするとやって行けたんですか?
村尾 いやあ、僕は1998年入社組で、4月からスーツ着て仕事始めたんですが、ずっと日本にいなかったこともありますから、いろんな部分で、違和感みたいのは、確かに、無くはなかったです。
松岡 しかも、ホンダは自由闊達な部類かとは思いますけど、そうは言っても「ザ・ニッポン」じゃないですか。
村尾 そうですね。
松岡 その「ザ・ニッポン」に直面したときにね…大きな意味でいうと、ホンダってすっごいブランドで、日本人が誇るべきブランドだけど、ホンダの社員は自分たちがブランドをつくるって思ってなく…まあ「大企業」だと思うんですよ。ものすごい違和感あったんじゃないかと思うんですけどね。
村尾 はい。
松岡 今のこの価値観で、この、幸福と個人の自己、自分らしいライフスタイルと幸福感と、スモールビジネスのブランドを確立させようっていうモノの考え方は、僕すごくわかりますけど、それは、ホンダさんのなかに、それはさすがに無いですよね。
村尾 そうですね。それは入社してすぐに感じたので、僕はここにずっと長くいることは出来ないだろうな、とは思ってはいました。ただ、幸い海外部隊のほうにいたんで、国際的な感覚を持った人とか、いろんな場所で生まれ育った人達が殆どだったので、本当にラッキーなことに、理解を示してくれた人はたくさんいたと思います。そこは、うん、松岡さんが仰るように、とはいえ、日本企業だったので、違和感は色んな所にありました。
松岡 でもそこで、社会を学んだというか、組織を学んだところはすごく大きいんでしょうね。
村尾 日本そのものを学びましたね。
松岡 そうでしょうね。それで、ホンダで個人の幸せとビジネスの幸せがくっつくのかなっていう疑問点は、多分、すごくお持ちになったと思うんですよ。
村尾 そうですね。

 個人の幸せとビジネスの成功が一緒になる「起業」

松岡 たぶん、それ、原点ですよね。反対側からきたっていう。僕自身も、一番最初の就職先が東京銀行っていう外国為替銀行だったんで。
村尾 ほんとうに!?(笑)
松岡 当時は、就職先として最もカッコイイところだったんですよ。でも入ってみるとですね、やっぱり、個人の幸せと会社の成功がぜんぜん違うところにあるんですよ。例えば、預金を集めろ、債権を取れということで、数値で成績が出てくるんですけど、そんなことが自分の幸せに繋がるとは思えないんですよ。
会社は、時代はバブル期のちょっと前のあたりで、ものすごい経済成長で、企業が利益を溜めた時代だったんですよ。でも社員は、誰も幸せそうにはしてないんですよ。みんな、ギリギリで、大変なんですよ。たしかにペイは良かったんですけど、みんな文句をぶつぶつ言ってるっていう。
僕もそれが反動なんですよね。で、93年に自分の会社作ったときには、当時まだなかったSOHO的な価値観をすごく持っていて、自分の幸せとビジネスの成功がくっつくようになやりたいなあと。東京銀行に対するアンチテーゼっていうのがすごくあって、だから「会社に利益を残さない」ってのを考えたんですよ。会社に利益を残してどうするんだと。
だから儲かったときは、全部社員に分配、みたいな発想をしてたんですけど、それがまた段々ね、変わってくるんですよ。そんなことしてると会社は危ないっていう(笑)。良いときも悪い時もあるっていうのを経験すると、良いときに分配しちゃうと、悪いときに耐えられないんですよ。悪い時に社員がお金出し合って会社支えましょうとは誰も言ってくれないんで。お金出して会社支えるのは、自分しかいないんですよ。
「お前ら10万ずつ出して会社支えてくれ」って、これは出来ないんで。苦しいときなら自分の一存でバンと助けられるんだけど、分けちゃうと、それが出来ないって事がその後分かりまして、やっぱりね、内部留保ってすごく必要。
村尾 そうですね。どんなにいい事業をやっていても、どんなに会社として社会貢献活動をやっていても、潰れてしまったらいろんな人に迷惑をかけることになるんで。皆に分配するってことも、その時は一瞬、いいかもしれないけれど、それが引き金になって潰れてしまったら、結局はまたそこの社員にも迷惑かけることになると思うんで、そこのバランスは非常に難しいですよね。
松岡 うん、大きな会社や、歴史のある会社ってのはいろいろ繰り返して成っていったんで、あんまりそう簡単なモノではないな、という感じはしましたけれどね。

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